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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第3節 湖面の細波 [12]




 困惑したような相手の瞳に、違うのか? といった不安が胸に広がる。
「織笠先輩の自殺の事を、涼木先輩がマスコミだか新聞社だかに流すつもりだと。でなければネットに書き込むとか」
 智論の言葉に涼木魁流はじっと相手を見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「もしそうだとして、なぜ君はそれを聞く?」
「え?」
「なぜわざわざこんなところまで来て、それを僕に確認する? 好奇心か?」
「違いますっ」
 慌てて否定する。遊びや楽しみの為ではない。
「そんなんじゃありません」
「ならなぜだ? 僕を止めようとしているのか? 説得しようとでも?」
「そういうつもりでもありません?」
「なら、何だ?」
 会話を交わしながら徐々に険しさの増してくる相手の視線にコクリと小さく唾を飲み、智論は息を吸った。
「私も、何かお手伝いはできないかと思いまして、伺いました」
「え?」
 魁流の瞳が、やや厳しさを弱める。その隙を見逃さず智論は少し身を乗り出す。
「私も、学校のやり方には納得できないんです。学校の体裁や他の生徒を護ることだけに徹して織笠先輩の事実を隠そうとするなんて、間違っていると思うんです」
 言いながら、智論の胸の内が興奮に包まれる。
「だってそうでしょう? だいたい悪い事してないんだったら隠す必要なんてないと思いません? それなのに親とか学校とか先生とかは、とにかく生徒が口外するのをとことん心配してばっかり」
 唐渓に通う生徒の保護者には、地元の新聞社やテレビ局などに繋がりのある人間も多い。彼らはその権限を駆使して、とにかく事件が公になる事を阻止した。親の中には警察関係に精通している者もいただろう。世間に流布される情報のいくらかは、権力者たちによってある程度は操作されてしまうのだ。
「私、そんなのは絶対におかしいと思うんです」
 最後はほとんど叫ぶように訴える智論。そんな相手の瞳をジッと見つめ、しばし沈黙を漂わせ、涼木魁流はふと視線を逸らした。
「やめておけ」
「え?」
 それは、赤や黄色に染まり始めた庭に沁みるような、小さいというよりも、儚い声であった。智論は本当に聞き取れなかった。
「え? 何ですか?」
「やめておけと言ったんだ」
 魁流は落とした視線を再び智論へ向けた。澄んだ瞳だった。
「どんな噂が流れているかは知らないが、僕は事件をネットなんかに流すつもりはない。学校を訴えるなんてとんでもない。だいたい、僕なんかに学校を訴える事なんてできないよ」
「でも、涼木先輩は織笠先輩とお付き合いをしていたんでしょう?」
「それについては否定はしない」
「だったら、織笠先輩を自殺に追い込まれて、悔しくないんですか?」
 そこで魁流が唇を噛んだのは、智論の錯覚か。
「もう帰れ」
 突然の言葉に呆気に取られる智論。背を向ける魁流。
「あのっ」
「そもそも、君は鈴とどんな関係なんだ?」
「関係って」
 そんなものはない。智論は事件が起きるまで、織笠鈴という上級生の存在すら知らなかった。
(ゆかり)もない君には、関係もない事だ」
「でもっ」
「僕は鈴の件に関して何かしようというつもりはない。だから君に手伝ってもらう事もない。従って、僕と君は、これ以上ここで会話を交わす必要もない」
「そんな」
 有無を言わせぬ強い口調で突きつけられ、智論は混乱しながら何も言い返せない。そんな下級生へ向かって、背を向けていた魁流が首だけを捻って肩越しに振り返った。
「それから、唐渓を悪く言うのは止めておいた方がいい。これは君の保身の為に言う。忠告のようなものだ」
 別に僕が言わずともわかっているのかもしれないけどね。
 そう付けたし、魁流はサッサと唐草ハウスへと姿を消してしまった。



「何が先輩の気に障ったのか、今でもわからない」
 智論は考え込むと、しばらくして諦めたようにため息をついた。
「それから少しして、涼木先輩は学校に来なくなってしまった。自宅からも姿を消したという事で、そのうち退学扱いになってしまったようね」
 智論は何気なく前髪を掻きあげる。甘い香りが微かに漂う。
「私が知っているのはこれだけ。退学した後、あなたのお兄さんがどこへ行ったのか、今どこに居るのか、それは本当に知らないの。ごめんなさい」
 詫びる智論に、聞き入っていたツバサが慌てて瞬きをする。
「い、いいえ、とんでもない。鈴さんが亡くなった理由がわかっただけでもすごい進展です。兄が姿を消した理由もやっぱり鈴さんが関係しているみたいだし、それがわかっただけでも嬉しいです」
 両手を振って笑ってみせる。顔の筋肉を動かすのがとても久しぶりのような気がする。眉一つ動かさずに聞き入っていたのだと実感する。
 確かに、小窪智論の話だけでは兄の居場所はわからない。兄を探しているツバサにとっては大した情報でもないように思えるが、それでもツバサに落胆はない。
 恐ろしくはある。
 唐渓って、やっぱすごいところなんだ。鈴さん、どんな気持ちだったんだろう?
 ふと、田代里奈の言葉を思い出す。

「唐渓の中学入学の説明会の時に会って言われたの。私みたいな子は、唐渓になんか行かない方がいいって」

 きっと、辛かったんだろうな。でも、じゃあなんで鈴さんは唐渓へなんか通ったんだろう?
 …… お兄ちゃんが通ってるから?
 兄と織笠鈴との出会いを、ツバサは知らない。唐渓に入学してから出会ったのか、それ以前からか。
 お兄ちゃんも、どんな気持ちだったんだろう? 中退したのは、鈴さんの自殺を隠そうとする学校の態度に納得できなかったから?
 姿を消す直前の兄の姿を必死に思い出そうと試みる。







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